将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年6月22日 (火)

無敵の大山康晴とタイトル戦で激闘した山田道美

大山康晴と激闘した山田道美

山田道美九段は序盤作戦の研究に打ち込んで「将棋博士」と呼ばれましたが、ほかの棋士には「形にとらわれたひ弱な将棋」と低い評価でした。しかし地道な努力を積み重ねて実力をつけ、1965年の名人戦で大山康晴名人に挑戦しました。写真は、右が山田、左が大山。

当時の大山はタイトル(五冠)をほぼ独占して無敵でした。全国を転戦したタイトル戦の対局では、対局前夜・1日目の夜・2日目の終局後と、好きな麻雀を関係者と打つのが恒例でした。そうして対局場の空気を自分のペースで仕切ったのも、ひとつの盤外戦術だったのです。大山の麻雀好きの話は、昨年11月9日のブログを見てください。

山田はそんな大山の仕切りに対して猛反発しました。地方の対局での移動は単独行動し、対局中の食事は自室でとりました。大勝負をしている相手の棋士と車中や食事の場で一緒にいられるか、というのが山田の率直な気持ちでした。大山とは対局室以外はできるだけ離れ、それによって敵愾心と戦意を高めたのです。

山田は本来は温厚な性格でした。しかし大山との対局では、闘志をむき出しにして戦いました。対局中に「よーっし」と言って自分に気合を入れたり、「自源流、自源流」(薩摩の剣法)とつぶやいたりしました。大山と雑談する関係者には、退室を要求しました。

山田は名人戦で1勝4敗と敗退し、大山の腰の重さと駆け引きのうまさを痛感しました。しかし「中終盤の力さえつければ、大山打倒も夢ではない。近い将来、きっと大山城を落城させるつもり。今の私は、倒幕の志士の心意気だ」と大山打倒を宣言しました。なお、倒幕の志士を「野武士か素浪人」と後に訂正しました。倒幕を叫びながら京都の祇園で遊んでいた志士たちの行状は、自分とは違うというのです。山田はお酒をほとんど飲まず、私生活はとても品行方正でした。

山田が大山に再挑戦した66年の王将戦では、山田が3勝1敗とリードしました。その第3局の終盤戦でハプニングが起きました。読みに没頭した山田の上体が前傾して盤上に影を落とすことが続くと、大山が思わず「暗くしなさんな!」と声を荒げたのです。

大山は山田との対局で、棋界の第一人者として当初は冷静に対応していました。しかし山田の炎のような闘志にあおられ、前記のように感情をあらわにする場面もありました。山田が休憩時間に盤の前で考えていると、「休憩中は盤に蓋をしてほしい」と関係者に言ったりしました。また王将戦第3局では、精密機械といわれた読みに狂いが生じて、勝ち将棋をトン死で逆転負けしました。

66年の王将戦は、大山が4勝3敗で逆転防衛しました。山田が念願の大山打倒を果たしたのは、3勝1敗で破った67年の棋聖戦でした。

山田は「大山さんには棋聖戦の前、もう峠だと言われましたが、とんでもないと思いました。峠どころか、私はこれから登るところです。今は『たどりきて山麓』という心境です」と、初タイトル獲得の感想を語りました。

次回は、現代に生きている山田将棋の精神。

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