将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年6月 7日 (月)

36年前の女流棋士制度発足の推進者は大山康晴十五世名人

私は今年1月から4月まで計4回、「女流棋士研修会」の冒頭30分間で女流棋界の歴史について講義しました。主な参加者は若手の女流棋士で、未知の話を興味深そうに聞いていました。私は熱弁を振るっていると、ふと女子大の講師になったような気分でした。また、将棋の歴史を改めて調べてみて、自身もとても勉強になりました。

女流棋界の歴史について、江戸時代から約15年前の現代まで時系列で講義しました。それらを要約したものを列記します。

江戸時代後期の文献に大橋浪女、池田菊女らの女性が将棋を指した記録。約100年間の女性不在の時期を経て、1960年代に女流棋士の草分けの蛸島彰子(女流五段)が奨励会で修業。女流アマ棋戦、女性教室の開催で女性ファンが増える。1974年に女流棋士制度が発足して蛸島、関根紀代子(女流五段)ら6人が女流棋士に認定。81年の新人王戦で時の女流タイトル保持者がプロ公式戦に初参加。80年代前半に林葉直子(元女流棋士)、中井広恵(女流六段)らの若い世代が台頭。林葉、中井らの活躍によって女流棋界が社会的に注目され、女流棋戦も増加。93年に中井がプロ公式戦で男性棋士に初勝利。96年に清水市代(女流二冠)が女流四冠を独占。

以上の女流棋界の歴史において、大きな節目になったのは36年前の女流棋士制度の発足でした。事の発端は、女流アマだった関根に指導を受けていた人の口利きによって、報知新聞社と将棋連盟の間で女流棋戦設立の交渉が始まったことです。そして「将棋もスポーツのようにジャンルを男と女に分けるべきだ」という連盟首脳の大山康晴十五世名人の考えと、「華やかで明るい紙面にしたい」という報知の編集方針が合致し、女流プロ名人位戦が設立されたのです。

盤上盤外で実力者の大山が「将棋が強くなければ、女性というだけでプロに認めない」というような保守的な考えだったら、女流棋士制度は36年前に実現しなかったでしょう。その意味で女流棋士制度を推進した大山は、女流棋界の基礎を築いた陰の功労者だと思います。女流棋士研修会での歴史講義の結びでも、私はそれを強調しました。

東京の将棋会館は、大山の献身的な募金活動によって34年前に建設されました。大山は会館の設計にあたって、女子トイレの増設を主張しました。当時の棋界はプロもアマも女性は少なかったのですが、いずれ多くの女性が会館を訪れる時代がくるはずだと期待したからです。その大山の先見性は、今日の女流棋界隆盛や女性ファン増加で証明されました。

私は、元女流棋士の林葉直子の活躍や人気も棋界活性化の大きな力になったと思っています。その一例が女流王位戦で、林葉の地元・福岡の西日本新聞社(王位戦の加盟社)の後押しなどで設立されました。そんな林葉に関わる思わぬ騒動が16年前に起きました。

次回は、16年前に勃発した女流棋士の失踪騒動。

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コメント

田丸さん、はじめまして。
毎回興味深いお話ありがとうございます。
自分は最近将棋や将棋界について興味を持つようになったので
こういうお話は楽しいです。

大山名人の先見性には驚かされます。
昔の建物だと女子トイレが少ないどころか無かったりする所も有りますもんね。

違うブログで拝見したんですが
青野照市さんが
「大山さんはあれだけ実績があるのにもかかわらず昔話はあまりしなかった。
常に将来の事を語ってた」
と言ってたようです。
逆にライバルの升田さんは昔話が多かったそうですね。

これから田丸さんを応援させていただきます。
ブログも将棋も頑張ってください。

投稿: 初心者です | 2010年6月 8日 (火) 18時17分

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