将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年5月24日 (月)

田中寅彦九段が強豪アマに提訴された「居飛車穴熊・元祖」裁判

居飛車が振り飛車に対して、玉を穴熊囲いで堅く守る戦法が「居飛車穴熊」。この戦法が流行し始めたのは33年前の1977年で、火付け役は前年に棋士デビューした田中寅彦九段でした。田中が居飛車穴熊で勝ちまくると、ほかの棋士も用いるようになり、やがてアマ間にも広まりました。当初の居飛車穴熊の威力は強烈で、「イビアナ」という怪獣のような異名がついたほどです。そのあおりを食って、振り飛車党が激減しました。

その後、振り飛車側の対策が進んで一時の猛威は失せました。しかし居飛車穴熊が有力な戦法であることに変わりありません。今では多くの棋士が用いて、現代将棋の定番になっています。竜王戦、名人戦などのタイトル戦でも指されます。

居飛車穴熊が公式戦で初めて指されたのは約60年前のA級順位戦で、原田泰夫九段が手詰まり状態から成り行きで穴熊に囲いました。1968年の名人戦(大山康晴名人―升田幸三九段)第2局では、升田が居飛車穴熊を用いて周囲を驚かせました。また74年のころには、田中と同期の若手棋士や奨励会員が指していました。

したがって居飛車穴熊は、田中のオリジナル戦法ではありません。しかし奇策と思われた居飛車穴熊を本格的戦法に定着させたのは田中の功績で、同時に田中の強さを証明しています。先駆者の成績が良くなかったら、新戦法は流行しなかったはずです。やがて田中は「私が居飛車穴熊の元祖」と、テレビ解説や自戦記などで謳うようになりました。私を含めて多くの棋士は、前記の理由からそれを別におかしくないと思っていました。

その田中に対して「我こそが居飛車穴熊の元祖」と主張したのが、全国的アマ棋戦で優勝歴があった強豪アマの大木和博さんでした。大木さんは以前から居飛車穴熊を得意にしていたようで、1970年代の将棋雑誌には指した将棋が載っていました。

大木さんは1996年に「元祖の呼称を何度も公言されて精神的苦痛を受けた」として、田中に元祖や創始者などの呼称の使用差し止めと300万円の損害賠償を求めて提訴しました。将棋の戦法の元祖を巡る、きわめて珍しい裁判でした。法廷では両者の戦績や様々な資料が証拠として提出されました。ただ、あまりにも専門的な問題だけに、裁判官は判断に苦慮したようです。結審まで3年かかったのは、問題の難しさを物語っています。

1999年に東京地裁で判決が下され、裁判官は「戦法の発展と向上、将棋界への貢献などを総合すると、ともにこの戦法の使い手として広く知られている両者は、尊敬の念をもって元祖や創始者と呼ばれるにふさわしい。田中さんが元祖と名乗っても、大木さんへの違法な権利侵害とはいえない」と述べ、原告の大木さんの請求を棄却しました。

裁判官は両者の立場を配慮し、引き分けの決着とした穏便な判決でした。その後、原告は高裁に控訴しましたが、ほぼ同じ内容の判決となりました。

古い歴史がある将棋で、いつ誰がその戦法を考え出したと特定すること自体が無理な話だと思います。

次回は、今週26日の将棋連盟総会について。

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