将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年5月 5日 (水)

今年の5月5日は田丸の60回目の誕生日

60年前の1950年5月5日。私は長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)で生まれました。旧・信越本線の小諸駅の西側の高原で、薬用人参や野菜を栽培している農村です。朝の5時に生まれたとき、朝日がちょうど昇り始め、鯉幟(こいのぼり)の季節だったことから、祖母が「昇」と名前を付けました。逆子の状態となって難産だったそうです。

本日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」として、62年前に祝日に制定された「こどもの日」です。

自分の誕生日も、腹を痛めて生んでくれた母親に感謝する日だといわれます。私は昨日の4日、母親(昭子)に会って元気な様子を見せました。母親は83歳と高齢ですが、かくしゃくとして介護の問題は無縁です。今でも家事を切り盛りし、1人で往復1時間も歩いて買物に出かけます。同居している58歳の妹(一美)は、「私よりも元気」と笑っています。ただ耳が遠いので、歩行中の交通事故が心配です。そこで安全のために補聴器を勧めると、「年寄みたいだから嫌だ」と拒否されてしまいました…。

私が訪ねると、母親は祖母仕込みの田舎料理を何品も作ってくれます。「最近は味覚がにぶくなった」と言いながら、根菜やヒジキの煮物がとくに絶品です。私の好物の炊き込みご飯も作ってくれ、今回は竹の子ご飯でした。息子が母親の手料理をガツガツ食べることも、ひとつの親孝行かと思っています。自分が何歳になっても母親といるときは少年時代に戻れる、と実感したひとときでもありました。

子どもにとって最大の親不幸は、親よりも先に死ぬ「逆縁」だといわれます。私は幸いにも大きな病気や負傷に見舞われず、還暦を迎えて以降も健康な生活を送れそうです。ただ毎年の健診では、長年の飲酒によって脂肪肝の疑いがあると診断されているので、酒量は少し控えています。まあ、お酒は常備薬なので毎日の「服用」は続けていますが…。

私が青年時代に抱いた60歳の人の印象は、まさに老人そのものでした。しかし自分がその年齢に達してみると、社会全体が高齢化していることもあって、何かピンときません。ただ人生の残り時間が決して多くないのは事実です。それだけに、時間は無制限にあると思った(いや、思うことすらなかった)青年時代とは違い、時間を大切に使って生きたいという思いは強くなっています。私と同世代または上の世代の人たちも、同じような心境ではないでしょうか。

私は21歳で四段に昇段して棋士となり、棋士39年目の今年度から立場的にも待遇的にも完全にフリークラス棋士となって数年後には引退します。こうして棋士人生を時系列に振り返ってみると、20代はじめで就職して60歳で退職後は嘱託となる、典型的なサラリーマン人生みたいです。

現役棋士としての残り時間も限定されている、これからの数年間。与えられた対局の機会を大事にして頑張りたいと思っています。

次回は、「と金人脈」で漫画家・さかもと未明さんを取材。

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コメント

 おめでとうございます。50年5月5日の5時とは、5づくしですね。
 人生の有限性と言えば、村山聖九段の追悼番組で、平成5年の銀河戦で先生が村山七段(当時)と対局されているのを見ました。田丸先生は少し髪が短めでした(笑)。
 村山先生も長く病気と付き合いながら、その五年後には亡くなっているわけですから、一局にかける意気込みは相当なものだったのでしょうね。

投稿: morris | 2010年5月 5日 (水) 10時17分

還暦おめでとうございます。
いつも楽しみに読ませていただいております、
長く第一線で活躍されてきた現役棋士ならではの解説、
リアルな 現場での体験談は読み応えがありますね。
個人的には脇にそれた、まさに「横歩き」のエピソードも大好物で、
とくに淡々としながらもどこか叙情的な紀行文の隠れファンです、
たしか大盤解説で熊本に行かれるんですよね? 
名調子期待しております(笑)

投稿: 中華そば つむじ軒 | 2010年5月 5日 (水) 13時15分

60才のお誕生日おめでとうございました。
親孝行もなさったのですね。お母様もお元気そうで良かったですね。
これからも、健康に留意されて こちらで将棋のお話を伺えるのを楽しみにしております。
ご活躍お祈りしております。

投稿: 将棋好きの息子の母 | 2010年5月 7日 (金) 13時12分

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