将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年4月27日 (火)

田丸が記録係として見た過去の名人戦エピソード

過去の名人戦エピソード

私は奨励会員、若手棋士のころ、名人戦の記録係を4回務めました。記録係の席から見た戦いの模様、対局者の様子などを振り返ってみます。

1967年の名人戦(大山康晴名人―二上達也八段)第3局で、当時17歳・1級の私はタイトル戦の記録係を初めて務めました。対局場に移動中に立会人の棋士から「名人のカバンを持ちなさい」と言われてそうすると、「ありがとう。名前は? えっ、田丸っていうの。丸田さん(祐三九段)と逆なんだ」と話しかけられ、大山の柔らかく高い声を初めて聞きました。大山の対局姿はどっしりとしていて、まるで巌のようでした。

1969年の名人戦(大山康晴名人―有吉道夫八段)は、名人戦史上で初めての師弟戦が実現しました。私は東京・赤坂の料亭で行われた第3局の記録係を務めました。旅館ではないので部屋数に限りがあり、記録係は1日目の夜は盤を片付けて対局室で寝ました。師弟の両者は盤外では和やかな雰囲気で、大山は「有吉」と弟子を呼び捨てにしました。戦いは「火の玉流」の棋風の有吉が猛烈に攻め、「受けの達人」の大山が徹底的に受ける展開で、結果は大山が完勝しました。終局時間は、まだ陽が高い2日目の12時すぎでした。

1975年の名人戦(中原誠名人―大内延介八段)は、名人戦3連覇で王道を歩む中原と、当時は異端の戦法だった穴熊を武器に勝ち上がった大内の勝負でした。メディアは中原「自然流」と大内「怒涛流」の対決としてあおり、将棋ファン以外の人たちも注目しました。両者の勝負は白熱して3勝3敗となり、当時五段の私は第7局の記録係を務めました。

第7局では大内が中原の不用意な一手をとがめ、1日目で早くも優勢となりました。翌朝の新聞の見出しは「一気に決戦状態へ」。これは形勢の優劣を書けない建前の表現でした。しかし2日目に入ると、大内は勝利と名人位を過剰に意識して疑問手を続出、形勢は次第にもつれました。そして終盤の局面で、大内が▲4五歩と突けば勝ち筋なのに別の手を指しました。中原がその手を見て席を立つと、大内は「ばかな、しまった。先に▲4五歩と突くんだ。それで決まっていたでしょう…」と、記録係に向かって口走ったのです。

結局、第7局は双方入玉で持将棋となりました。第8局の日程は未定で、両対局者の希望日が合わないので、立会人の提案で振り駒で決着をつけました。新聞の観戦記には「記録の田丸昇五段が、先後をきめるのと同じ要領でコマを振り、〈と〉が多く出て大内の主張が通る」と書かれました。第8局では中原が大内の穴熊を封じて完勝、名人位を死守しました。写真は、私が撮った第8局の終局光景。大内の茫然とした表情がすべてを物語っています。

1978年の名人戦(中原誠名人―森けい二八段)第1局の前日、挑戦者の森は別のホテルに単独で泊まりました。そして当日、対局室に入ってきた森の頭を見て、関係者一同は目を見張りました。長めの髪が青々とした剃髪に変わっていたのです。特別立会人の大山十五世名人は思わず「坊主が何人もできちゃった…」と言って、異様な雰囲気のその場を治めました。坊主とは光頭の大山のほかに、立会人の花村元司九段、観戦記担当の作家・山口瞳らです。第1局は、度肝を抜かれた中原が変調をきたして敗れました。

次回は、コメントへの返事。

|

対局」カテゴリの記事

コメント

大内先生があの時、名人になっていたら、その後の棋界はまた変わっていたんでしょうね。当時は今以上に、最高位タイトルとしての名人の価値があった訳ですから、大内先生にかかった重圧は相当な物だったのでしょうね。

投稿: 冬木 | 2010年4月27日 (火) 19時54分

田丸先生、こんばんは!先日コメントさせて頂きました、マサヤです。今回も貴重なお話をありがとうございました。
今期竜王戦、櫛田6段がベスト4に進出されました。ぜひとも6組優勝を!期待しています。そして来期は田丸先生と共に、5組へ!
応援してます!!
頑張れー、田丸先生、櫛田6段!!

投稿: マサヤ | 2010年4月27日 (火) 20時19分

「坊主が何人もできちゃった…」とはおもしろいですね。( ´艸`)

大山名人はときどき盤外戦術を用いたと言われたりしますが、わざと相手を困らせようというのではなく、そういう性格だっただけだと思います。だから余計に指摘しづらかったのでしょうが。(;´▽`A``

投稿: ネブラスカ | 2010年4月28日 (水) 14時57分

中原ー大内戦は45歩とつく前に71角と指してしまったんでしたね。
ただ何かの本で読んだうろ覚えの記憶だと
大内先生にはあんまり時間がなくて、71角を見て中原名人は
悠然とトイレに行った・・・なんて逸話を思い出します。

投稿: 天童市民 | 2010年4月29日 (木) 15時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545452/48195457

この記事へのトラックバック一覧です: 田丸が記録係として見た過去の名人戦エピソード: