将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年4月19日 (月)

苦い思い出がある22年前のNHK杯戦・大山戦

苦い思い出がある22<br />
 年前の大山戦

「自分がテレビ将棋を見始めたころ、解説者が〈攻めの田丸〉と言っていて、カッコイイと思った記憶があります」とは『ほたる』さんのコメント(1月20日)。

「私の心に残る1局は、第38回NHK杯戦・大山―田丸戦です。田丸七段が右四間飛車から果敢に攻め込んで必勝態勢。しかし寄せの決め手を逃し、大山玉は端からスルスルと脱出して逃げ延びてしまいました。必勝の将棋を棒に振った田丸七段の苦痛の表情を、テレビカメラは非情にも捉えていました。一方の大山十五世名人はお茶を飲み、対照的な光景でした。あの将棋が田丸七段の快勝だったら、私はその将棋を忘れていたでしょう。敗者にドラマがあるからこそ、将棋ファンの記憶に残るのだと思います」という内容のコメント(3月27日)は『大沢一公さん』。

22年前の1988年9月に放送されたNHK杯戦・大山康晴十五世名人―田丸昇七段戦は、私にとって苦い思い出がある将棋でした。大山の四間飛車に対して、私は右四間飛車・腰掛け銀の作戦から〈攻めの田丸〉らしく攻め立てました。〈受けの達人〉の大山は容易に決め手を与えませんが、ようやく終盤で私に勝ち筋が生じました。しかし▲9五香と打てば寄り筋なのに、▲9五歩と打って大山玉を逃がしてしまい形勢がもつれました。

写真の局面は、下側の先手が田丸、上側の後手が大山。ここで▲8八歩は「打ち歩詰め」の禁手で打てません。実戦は▲9六角△7六玉▲7七歩△同玉▲6八銀引△7六玉と進み、この局面でも▲7七歩は打ち歩詰めです。私は以後も必死に迫りましたが、最後は△9八玉と逃げられ、それから2手後に無念の投了となりました。

私は大山十五名人との10局以上の対戦で、何局か勝ちました。しかし王位戦リーグ入りの一戦(84年)、棋王戦挑戦者決定戦(90年)など、重要な対局での大山の集中力と強さを身に染みて感じました。また、このNHK杯戦の対局のように、大山将棋には相手の間違いを誘発させる独特の感覚や空気がありました。ただ勝負の結果はともかくとして、「昭和棋界の巨星」の大山と数多く対局できたことは、自分の将棋人生にとって貴重な財産だと思っています。

私は1982年から99年まで、NHK杯戦に18年連続で出場しました。最高成績はベスト16です。過去の印象的な将棋を振り返ってみます。

初出場した82年の木下晃五段(前期にベスト4の大活躍)戦は快勝し、その勝ちっぷりが翌年のNHK将棋講座の講師に選ばれた理由のひとつになったようです。89年の森内俊之四段戦は横歩取りから派手な大乱戦となり、私が寄せ合いを制した将棋は会心譜です。93年の櫛田陽一五段戦は初めての師弟対局で、師匠の私が敗れて弟子に「恩返し」をされてしまいました。

順位戦でB級2組に降級してNHK杯戦出場のシード権を失ってからは、予選でいつも敗退して本戦に10年も出場していません。数年後の引退までに、何とか1回は実現したいと思っていますが…。

次回は、名人戦の展望と過去のエピソード。

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コメント

この将棋はよく覚えています。
当時司会の永井さんも解説の森安先生も大山名人のあまりの粘りに解説不能となり、あっけにとられていたのを思い出します。

他、田丸先生の将棋では西川7段に入玉して勝った将棋や中田宏樹先生に逆に入玉して負けた将棋なんかを覚えています。

アマにもわかりやすい攻めっ気の強さと、一手一手空中を舞うような手さばきで指される田丸先生はカッコヨカッタですよ!

ぜひ来期は本戦出場してくださいね♪

投稿: ホネツギマン | 2010年4月27日 (火) 21時54分

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