将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年3月21日 (日)

田丸が和服姿で臨んだ38年前の棋士デビュー対局

38年前の棋士デビュー対局

私は38年前の2月22日、奨励会三段リーグの「東西決戦」に勝って四段に昇段し、晴れて21歳で棋士となりました。その翌日の日記には、「悪夢を見ていたような将棋だった」「感傷も喜びも何にも湧いてこない」という一節が書いてありました。負け将棋を拾っただけに、素直に喜べなかったのです。また、新たに始まる棋士人生に思いを馳せると、厳粛な気持ちになりました。

四段に昇段してしばらくは、虚脱状態の日々が続きました。やがて一門関係者、稽古先、友人、親族らに挨拶したり、後援者の方たちがお祝いに贈ってくれた和服の着付けの練習をしていると、棋士になった実感がやっと持てました。

私は20歳まで丸坊主でした。成人になると世間の長髪ブームに乗って髪を伸ばし始め、一時は肩まで垂れるほど長くしました。師匠や兄弟子には「見苦しいから髪を短く切れ」と何度も注意されましたが、頑として切りませんでした。しかしデビュー対局に備えて、少し短くした髪型に変えました。

東西決戦から1ヶ月後の1972年3月21日。棋士としてデビューする初対局がありました。棋戦は新人王戦で、相手は河口俊彦四段(現七段)。

写真は、田丸の対局姿。羽織袴の和服に身を包んで臨みました。着物は「大島紬」、袴は「仙台平」、襦袢は「羽二重」、帯は「博多織」と、いずれも高価なものでした。後日に主催紙に掲載された観戦記には、その光景が次のように描写されました。

《私は目を見張った。この朝、田丸はまったく別人のように見えた。仙台平の袴をさわさわとさばいて対局室にスックと立ったあで姿、いや晴れ姿と書くべきだろうが、ポッと桜色に上気した頬、ウェーブした長髪、手には真っ白な扇子。それらは初々しい女剣士のあで姿と呼ぶにピッタリだった》

戦型は河口の四間飛車に対して、私は袖飛車作戦を採りました。私が中盤で相手の大駒を押さえにいくと、河口は角を切って攻め込み、互いの玉頭で激しく戦いました。難しい形勢だと思っていました。しかし河口は何か読み違いがあったようで、夕食休憩直前の6時すぎに突然投了しました。河口が一礼したとき、私はとっさに理解できず、しばらくぽかんとしてから礼を返しました。

デビュー対局はややあっけない形で終わり、私は初陣を勝利で飾りました。河口は新人棋士を相手に指しにくくそうで、戦意がいまひとつ高まらなかったようでした。私は順位戦ならこれほど簡単に勝てるはずがないと、自分に言い聞かせました。

私は対局当日、体調を少し崩していて、初めての和服姿に不自由さを感じました。将棋の内容も決して良くありません。しかし、盤面にひたすら集中していました。あの姿勢を忘れてはいけないと、38年後の今でもたまに思い出します。

次回は、全国各地での「親子将棋教室」の模様。

|

対局」カテゴリの記事

コメント

おお、凛々しいお姿ですね!
先のブログで過酷な東西決戦のエピソードなどもご説明頂きましたので、一読者としても感慨深いものがあります。
いずれ機会がありましたら、田丸先生の修行時代の話や棋士を志した経緯などご紹介頂けると嬉しく思います。

投稿: booby | 2010年3月23日 (火) 01時25分

田丸先生はじめまして!はじめてコメント致します。自分は櫛田陽一六段の大ファンです。今期の銀河戦の先生との対局が特に印象的でした!これからも田丸先生、櫛田六段を精一杯応援しておりますので、体には気をつけて頑張って下さい!!
田丸先生、櫛田六段の今期竜王戦ご活躍期待しております!頑張って下さい!!


投稿: マサヤ | 2010年3月27日 (土) 21時16分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 田丸が和服姿で臨んだ38年前の棋士デビュー対局: