山内一豊の居城だった掛川城で羽生―久保の王将戦第3局
王将戦(羽生善治王将―久保利明棋王)第3局は先週の10日〜11日、静岡県掛川市「掛川城二の丸茶室」で行われ、私は立会人を務めました。写真はその掛川城で、右側の建物が対局場となった茶室です。
戦国時代の15世紀、今川家が掛川城を築きました。豊臣秀吉の時代には、妻の内助の功の逸話で有名な山内一豊の居城でした。現在の城は18年前に240年ぶりに再建されたもので、全国で初の木造復元天守閣とのことです。
タイトル戦の対局場は通常はホテル・旅館です。近年は東大寺、東本願寺、延暦寺、金剛峯寺など、歴史的な寺院で行われることがあります。昨年の名人戦では熊本城が対局場となり、初めて「お城将棋」が実現しました。
羽生は前夜祭で「昔はお城で将棋を指しました」と挨拶しました。江戸時代には毎年11月17日、江戸城の御黒書院において、将軍の御前で家元の棋士たちが将棋を指すのが恒例の儀式だったのです。なお将棋連盟は35年前、お城将棋の故事によって11月17日を「将棋の日」と定めました。
立会人の私は午前9時、「定刻になりましたので、久保棋王の先手でお願いします」と宣言しました。久保が初手を▲7六歩と指すと、カメラマンたちのシャッター音やフラッシュが対局室に一斉に広がりました。おなじみの対局開始光景です。
以前は撮影用に、対局者が初手を何回か指し直すのが常でした。しかし厳密には「二手指し」に当たるとの見解もあり、近年は行われていません。将棋で「待った」が許されないように、たった1回のシャッターチャンスでも誤りなく撮るのは、プロカメラマンとして確かに当たり前の仕事です。
現在のタイトル保持者、A級棋士など一流棋士の大半は居飛車党です。「藤井システム」で名を馳せた藤井猛九段も、最近は居飛車党に転じて矢倉を指します。そんな中で、久保は純粋の振り飛車党として活躍しています。
久保は王将戦で、第1局は三間飛車、第2局は中飛車に振りました。第3局では第1局と同様に3手目に▲7五歩と伸ばし、三間飛車に振りました。
対して羽生は、第1局は居飛車でしたが、第3局では飛車を2筋に振り、相振り飛車の戦型となりました。それにしても、羽生がどんな戦型でも指しこなすことに驚きます。研究が高度に進んでいる最新型にも、避けずに対応します。羽生は過密な対局日程において、いつ研究しているのだろうかと、仲間内では不思議がられています。
次回も、王将戦第3局・羽生―久保戦の勝負の模様を伝えます。
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コメント
田丸先生。はじめまして。
私は田丸先生の4ヶ月、年下みたいです。
趣味は詰め将棋ですが、なかなかすんなり
解けることはありません。
これからブログ拝見させていただきます
よろしくお願いします。
投稿: nomo | 2010年2月17日 (水) 17時30分