将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2009年12月 3日 (木)

相手棋士の「同情」を期待した21年前のB級1組順位戦・降級の一戦

1988年3月。私はB級1組順位戦の最終戦で、小林健二八段と大阪で対局しました。前期順位戦では昇級争いに加わり、次点でしたが10勝3敗の好成績を収めました。当期は勝ち将棋を落としたのが響いて3勝8敗と負けが込み、小林に負けるとB級2組に降級します。しかし勝てば残留できます。

私は以前にも降級の危機を脱したことが何回かあり、「悪運が強い」と言われていました。でも正直なところ、その年ばかりは駄目かと思いました。

小林は前A級棋士。当期は7勝4敗で、A級復帰の可能性はすでに消えました。ただ順位戦に「消化試合」はありません。勝ち星が多いほど、次期の順位が上がるからです。小林の場合、勝てば3位、負ければ4位となります。昇級をめざす者にとって、わずか1位差でも大きいものです。田丸が残留できるか、小林が順位を上げるかの勝負でした。

ちなみに順位戦で昇級すると、次期の対局料収入がおよそ3割アップします。逆に降級すると、およそ3割ダウンします。順位戦での昇降級は、昇段や棋士生命にも大きな影響をもたらします。

小林はいつも全力で戦う棋士で、若いころは「火の玉少年」と呼ばれました。将棋は本格的な居飛車党。後年に振り飛車党に転じましたが、当時はたまに用いる程度でした。じつは1ヶ月前に別の棋戦で対局したとき、私は小林の振り飛車に対して快勝しました。

小林の戦型は振り飛車でした。いつもは序盤からじっくり時間を使うのに、その日はとても早指しでした。そして、そわそわと落ち着きがなく何回も席を外しました。私は、小林の不慣れな振り飛車と、対局に集中しない様子を見て、あることを想像したのです。苦境にいる私を見兼ねて、「同情」めいたものを感じているのではないかと…。小林は私より7歳年下で温和な性格です。私と個人的な付き合いはないですが、仲は悪くありません。

しかし、私のとんだ思い違いでした。小林が早く指したのは実戦経験があったからです。対局室をしきりに離れたのは、重苦しい雰囲気から逃れるためでした。終盤の勝負所では2時間以上も長考し、勝ちをしっかり読み切りました。一方の私は、妙な期待感にとらわれて、全般に指し手が変調になりました。結果は完敗でした。

私は対局後、近くの居酒屋に一人で入りました。悔いが残る将棋を指し、溜め息が出たものです。でもお酒を飲めば、とりあえず気持ちが安らぎます。長い棋士生活では、勝てば祝い酒、負ければ悔し酒、ということを繰り返してきました。

なお次期のB級2組順位戦では、前半が3勝2敗でしたが後半に5連勝。B級1組へ1期での復帰昇級を果たしました。

次回は、B級2組順位戦の最終戦で全敗の田丸が昇級候補と対戦した話。

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