将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2009年11月 9日 (月)

全盛時代の大山康晴十五世名人はタイトル戦の対局が麻雀旅行

大山康晴十五世名人は1950年代後期からおよそ10年間、タイトルをほぼ独占して全盛時代を築いた。大山の勝利よりも敗戦が話題になり、自身も「勝つことに慣れるのが怖い」と語った。あまりの強さから「大山は盤外戦術を使ったり、相手に催眠術をかける」という噂が流れたほどだ。実際、大山が敗色濃厚な終盤戦で、相手が泥沼に引き込まれるように悪手を指し、大逆転が起きることがよくあった。

大山が対局中に前記のような怪しいことを、もちろんするわけがない。大山は抜群に強かったし、一流の勝負術に相手がはまっただけだ。ただタイトル戦の対局場では、ある仕切りによって自分のペースに持ち込んでいた。

大山は全盛時代、タイトル戦の対局で全国を転戦していたが、まるで麻雀旅行みたいな有り様だった。対局場に着くと麻雀卓をすぐ用意させ、立会人や記者などの関係者と麻雀を打った。それは対局前夜、1日目の夜、2日目の終局後と、3日間に及んだ。対局中には自ら関係者を指名して控室で打たせ、たまに立ち寄って観戦した。大山は麻雀を楽しむために対局しているようだった。だから麻雀をしない者は疎んじられ、「立会人は麻雀を打てる人にしてほしい」と関係者に注文をつけた。

私は修業時代、大山のタイトル戦の記録係を何回か務めたが、不思議な光景を見たことがある。1日目の封じ手時刻(当時は6時)を2時間前に早めることを、大山が相手の挑戦者にじかに持ちかけたのだ。その2時間分は折半し、両者の直前の指し手に1時間ずつ加えて「みなし長考」にするもの。大山のこの不可解な申し出に対して、若くて従順な挑戦者は断りきれなかったようだ。まだ陽の高い4時に封じ手となり、1日目が終わった。

私は先輩の記録係から聞いて、その事情を知った。大山は対局を早く切り上げて麻雀を打ちたかったのだ。やがて控室から麻雀パイの音が響いてきた。

大山はタイトル戦の対局で、なぜあれほど麻雀三昧に過ごしたのか。大山にとって麻雀は、スポーツ選手の軽いストレッチ体操みたいなもので、頭をほぐして気分転換を図ったと思う。それと、別の大事な理由があった。大山は盤上の戦いだけでなく、対局場を仕切って自分のペースにするのも戦略だと思っていた。麻雀はその小道具だった。ひとつの盤外戦術といえる。

ベテラン棋士Aと若手棋士Bの対局で、Aは「夕方からテレビ番組の収録なんだ。さっさと負けて早く行かないと…」と言って、時計を気にしながら猛烈な早指し。気のいいBはそれに合わせて早く指すと、いつしか不利な形勢になった。するとAは指し手が急に慎重になり、終局は深夜に及んだ。結果はAの勝ち。実際にあった盤外戦術だ。ちなみに、Aはタレント活動をしていた芹沢博文九段、Bは青年時代の青野照市九段。

次回テーマは、異業種交流の将棋会。

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