将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2009年11月30日 (月)

五段昇段と同時に相手棋士の首を切った35年前のC級2組順位戦

1974年2月。私はC級2組順位戦の最終盤で、関西の星田啓三七段と対局しました。私は当時、棋士2年目の23歳の四段。7勝1敗の成績で昇級をめざしていました。一方の星田は57歳のベテランで、成績はかなり悪かったです。

前期順位戦では後半に失速して昇級を逃しました。私は今期こその気構えで対局の2日前に東京を立ち、京都に寄って寺院を散策して英気を養ってから、大阪の対局場に向かいました。村田英雄の『王将』の曲のように、「あすは大阪(東京)に出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」という心境でした。

私は星田戦で、若い虎が老羊に襲いかかるように激しく攻め込みました。ただ星田は下り坂にいるとはいえ百戦錬磨の勝負師。何しろ『王将』のモデルになった、あの伝説的棋士・阪田三吉の弟子で、師の棋風を受け継いで力強い将棋が持ち味でした。いつしか私が不利になりました。しかし終盤で星田が悪手を指し、私がきわどく勝利を収めました。

対局を終えて事務室に寄り、東京の結果を聞いてみました。同じ昇級候補の棋士が負けると、私の昇級が決まります。しかし「まだ対局中」との返事。そこで「果報は飲んで待て」と思って外出すると、背後から星田に「ちょっと、そこらに行きまひょ」と声をかけられました。

私は星田と連れ立って近くの居酒屋に行きました。一緒に飲むのはもちろん初めてです。星田はしんからお酒が好きな人で、おいしそうに杯を傾けました。私たちは今し方の熱戦を忘れたように淡々と雑談し、そのうちにアマへの「稽古将棋」の話題になりました。東京に比べて大阪のほうが、件数が少なく単価も低いと思いました。それでも星田にとって貴重な副収入のようで、少しでも稼がなくてはという思いが伝わってきました。

私は星田の成績がふと気になりました。成績不良で「降級点」に該当したようですが、問題は2回目か3回目かです。じつは当時の制度では、C級2組順位戦で降級点を3回取ると、引退を余儀なくされました。つまり、私が星田の首切り人になったかもしれないのです。勝利の美酒が少し苦く感じました。やがてお開きとなり、勝った私が勘定を払おうとすると、星田に「まあまあ、ここは」と軽く手で制されました。

私は翌日、C級1組への昇級と五段昇段の決定を知らされました。そして星田が3回目の降級点を取ったことも…。

それから3ヶ月後の将棋連盟総会。順位戦でC級2組から陥落しても一定期間は多棋戦に参加できる、現行の「フリークラス」に当たる制度が導入されました。理事会から突然の動議だったので、総会では議論が紛糾しましたが、結果的に承認されました。そしてこの制度によって、星田は特別に救済されたのです。私は正直なところ、ほっとしました。

次回は、田丸が降級の一戦を迎えた話。

|

対局」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545452/46895815

この記事へのトラックバック一覧です: 五段昇段と同時に相手棋士の首を切った35年前のC級2組順位戦: