師匠の長年の悲願は高弟・米長邦雄の名人獲得。7回目の挑戦で名人になった米長の心境は「菜の花は薹が立ってから花が咲く」
私の師匠の佐瀬勇次名誉九段には、弟子が11人、孫弟子が11人いる。今や、将棋界きっての大きな一門だが、人数だけでなく顔ぶれもすごい。
弟子は棋士になった順に、米長邦雄永世棋聖、西村一義九段、私こと田丸昇八段、沼春雄六段、植山悦行七段、室岡克彦七段、高橋道雄九段、安西勝一六段、丸山忠久九段、中座真七段、木村一基八段。孫弟子は、藤井猛九段、三浦弘行八段、先崎学八段、中川大輔七段、櫛田陽一六段など。
これらの弟子の中から、2人の名人が誕生した。1993年に米長が名人を獲得し、2000年に丸山が名人を獲得した。さらに、1983年に高橋が王位、1996年に三浦が棋聖、1998年に藤井が竜王と、タイトルを獲得した。最近では、木村が王位戦で3連勝4連敗して惜しくも初タイトルを逃した。また今期のA級順位戦(10人)は、丸山、木村、藤井、三浦、高橋など、佐瀬一門で半数を占めている。
将棋連盟を運営する理事会(8人)でも、米長(会長)、西村(専務)、中川(理事)と佐瀬一門の棋士が要職に就いている。
現在の将棋界は、公式戦でも運営面でも佐瀬一門が大きな存在となっている。ただ公私は別で、一族で栄華をむさぼった「平氏の貴族」とは違う。それに昔の徒弟制度の時代と違って、一門の絆はそれほど濃厚ではなく、一門の棋士があまりにも多いので希薄に感じることもある。
それにしても、師匠はなぜあれほど弟子育成に熱心だったのか。師匠には3人の娘がいるが、本当は息子がほしかったらしい。その願望を弟子たちに見立てたのではないか。なお、弟子の中から沼が次女と結婚し、佐瀬家の跡目を継いでいる。
師匠の長年の悲願は、高弟・米長の名人獲得だった。しかし米長は宿命のライバル・中原誠(十六世名人)に対して、名人戦で5回も敗れた。7回目の挑戦の1993年、米長は中原を破って名人をついに獲得した。49歳の米長はその心境を「菜の花は薹が立ってから花が咲く」と例えた。盛大に開かれた米長新名人就位式では、師匠は喜びのあまり「これで、いつ死んでもいい」と語った。その翌年、佐瀬は75歳で死去した。
次回の話は、田丸が将棋を覚えたきっかけ。
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コメント
田丸先生
やはりBLOGでも、読み応えたっぷりですね!
楽しみに拝読させて頂きたく思います。
投稿: 寺石 章人 | 2009年10月17日 (土) 00時01分