将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2009年10月12日 (月)

師匠の佐瀬勇次名誉九段の弟子は米長邦雄永世棋聖など11人

私の師匠は佐瀬勇次名誉九段。現役時代は目立った活躍がなかったので、知らない人が多いと思う。師匠は青年時代に7年間も軍隊生活を余議なくされ、棋士として大きく後れを取った。だからその分、普及活動と弟子育成に力を入れたという。

佐瀬一門の高弟は米長邦雄永世棋聖(現・将棋連盟会長)。師匠は甲府の将棋会に行ったとき、12歳の米長少年の才能の豊かさに目を見張り、上京して棋士をめざすように親を説得した。米長家は戦前は資産家だったが、農地改革で土地を手放したり満鉄の株券が紙くずになったりして、戦後は没落していた。米長少年を上京させるにも、生活費の仕送りに事欠く状況だった。しかし後援者が現れ、中学生から佐瀬の家で内弟子を送ることになった。1956年(昭和31年)のことだ。

米長少年は師匠の期待どおり、将棋は順調に伸びていった。しかし、いたずら好きなので母親代わりの師匠夫人をよく困らせた。中学校では「スカートめくり」の常習で、そのたびに夫人は担任から呼び出された。

米長少年は師匠に対しても反発した。師匠が将棋の勉強法についてあれこれ言い付けると、「自分なりのやり方がある」と言ってまったく聞かない。さらに「師匠と同じ勉強法じゃ、しょせん七段(当時の師匠の段位)止まり」と言うと、師匠の堪忍袋の緒が切れて鉄拳が飛んだという…。いやはや、すごい話だ。

それでも師匠は、そんな米長を暖かく見守った。米長も心底では師匠を尊敬していた。米長の才能を見込んだあの升田幸三(実力制第四代名人)が「米長をわしの弟子に譲ってくれ」と本気で頼んだときには、師匠は頑として拒んだ。また、師匠が夜に米長少年の部屋に来て、一緒に女体の話に花を咲かせたという「おちゃめ」な関係もあった。

師匠は、盛況を誇った相撲の「花籠部屋」をもじって、自分の一門は「屑籠部屋」だと苦笑した。しかし次第に有望な弟子が集まるようになり、私も米長に憧れて佐瀬一門に入った。現在、佐瀬の直弟子は11人、孫弟子は11人。将棋界きっての大所帯である。

次回も、佐瀬一門の話です。

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コメント

あたしは、将棋が好きな主婦ですけど、米長さんの本で勉強したことがあります。
米長さんがスケベだったというのはよく聞きました。
あたしは別に、棋士が人格者でなければならないとは思いませんし、棋士として優れていればそれでいいじゃないのとも思います。
同じ門下の高橋道雄九段があたしは好きです。
彼らのプロフィールを見ると佐瀬勇次さんにたどり着くのです。
この人のことをもっと知りたいと思って調べたら貴ブログにたどりつきました。
ありがとうございました。

投稿: なおぼん | 2015年4月 2日 (木) 16時03分

最近観た映画に田丸さん、チラッと出てましたね。とても懐かしい。映画の内容も良かった。そう、聖の青春 という映画です。思わず涙がこぼれました。現役を引退なさったそうで、お疲れさまでした。

投稿: 西山 由美 | 2017年1月 6日 (金) 07時57分

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