将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2012年5月21日 (月)

6月に行われる竜王戦・田丸―櫛田の師弟戦は弟子の引退がかかる運命の対局

竜王戦6組・昇級者決定戦の2回戦で、私こと田丸昇八段と櫛田陽一六段の対局が6月5日に行われます。師匠の私と弟子の櫛田が対戦する「師弟戦」です。

勝負がつく世界において、師匠と弟子が個人戦の形で戦うのはきわめて稀なことで、将棋界のほかに囲碁界ぐらいだと思います。相撲界では引退してから師匠(親方)になるので、師弟戦の取組は絶対にありません。

過去の師弟戦で最たるケースは、大山康晴十五世名人と有吉道夫九段の対戦でした。両者はタイトル戦、A級順位戦などで、計65局も対戦しました(大山の41勝24敗)。中でも1969年(昭和44年)の名人戦では、師匠の大山名人に弟子の有吉八段が挑戦する名人戦の歴史で初めての師弟戦が実現しました。  

大山―有吉の名人戦7番勝負の前半では、両者が対局中でも雑談して師弟戦らしい和やかな雰囲気が漂っていたそうです。しかし第5局で有吉が勝って3勝2敗と勝ち越し、名人獲得まであと1勝に迫ると周囲の状況は一変しました。名人戦10連覇の大山が敗退すれば、「巨星堕つ」として社会的に関心を呼びます。第6局では通常は将棋関係者しかいない記者控室に、新聞・出版・放送などの一般の報道陣が詰めかけました。

結局、大山は第6局の角番をしのぐと、第7局も勝って名人位を死守したのです。局後に大山は角番での心境を「どうにでもなれやという気持ちでした」と語りました。逆の立場の有吉は「何か戸惑いを感じました」と語りました。いずれも正直な感想だと思います。

大舞台で数多く対戦した大山―有吉の師弟戦に比べると、田丸―櫛田の師弟戦はいたって地味なものです。しかし6月に行われる竜王戦は、弟子の櫛田の引退がかかる運命の対局となっています。

櫛田はフリークラス棋士規定によって、今年3月で引退が決まりました。ただ勝ち残っている棋戦には出場でき、その唯一の棋戦が竜王戦です。櫛田は私に勝てば3回戦に進み、負ければ引退となります。つまり結果によっては、師匠の私が弟子の櫛田を「介錯」することになりかねないのです。過去2局の田丸―櫛田の師弟戦(いずれも櫛田が勝ち)とは、勝負の重みと深刻さがまるで違います。

「相手の重要な一戦こそ全力で戦え」という言葉は、米長邦雄永世棋聖が現役時代に提唱するとともに自ら実践した《米長哲学》です。その精神は、今では多くの後輩棋士に浸透しています。順位戦の終盤で昇級・降級に関わる相手との対局で、情実が生じるようなことはありません。私も櫛田との対局では、私情を超えて全力で臨むつもりです。

62歳の田丸と47歳の櫛田は同じフリークラス棋士なのに、なぜ年下の櫛田が先に引退となるのか、疑問を持たれた方もいると思います。それはフリークラスに転出した時期が違うからです。原則として、転出から15年とプラスアルファ(個人差があります)、または65歳で引退となります。櫛田は30歳・棋士9年目の1995年(平成7年)にフリークラスに転出し、それから17年たった今年に規定によって引退となりました。田丸は58歳・棋士38年目の2009年(平成21年)にフリークラスに転出し、65歳となる2016年3月に引退となります。

前記の田丸と櫛田の比較でわかるように、順位戦にいかに長く在籍できるかが棋士生命に大きく影響します。ただ近年の状況を見ると、30代・40代でC級2組からフリークラスに転出、降級する棋士が少なくありません。厳しい三段リーグを勝ち抜いて四段に昇段して棋士になっても、その後もサバイバルレースは続くのが現状です。

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2012 05 21 17 14 53 | | コメント (2) | トラックバック (0)

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