将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2016年8月20日 (土)

3月に奈良の法隆寺、興福寺、東大寺などを観光

3月に奈良の法隆寺、東大寺、興福寺などを観光

私は今年の3月下旬に竜王戦の対局で関西を訪れました。引退が内定しているので、機会があれば関西将棋会館で対局したいと以前から思っていました。8年ぶりの関西での対局の後に、奈良と京都で観光したい、という意図もありました。季節外れになりますが、その話をテーマにします。

対局の翌日の3月25日。大阪の福島(関西将棋会館の最寄り駅)からJR・大阪環状線と大和路線を乗り継ぎ、最初に奈良県斑鳩町の「法隆寺」を訪れました。法隆寺は7世紀の飛鳥時代に創建された聖徳太子ゆかりの寺院です。世界最古の木造建築として知られ、1993年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

写真・上は法隆寺の五重の塔で、釈尊の遺骨を泰安するための重要な建物です。ほかに金堂、夢殿、大宝蔵院などには、数えきれないほどの国宝と重要文化財があります。私は広大な境内をゆっくり歩いて巡りました。早朝だったので観光客はまだ少なく、荘厳な雰囲気に浸ることができました。

法隆寺から歩いて駅に戻り、大和路線で奈良に向かいました。JR奈良駅から奈良公園への道には、観光シーズンとあって多くの人たちで賑わっていました。とくに目立ったのは中国・韓国・台湾などから来たアジアの人たちで、公園に放たれた鹿との写真を「自撮り棒」を使ってスマホで撮りまくっていました。

3月に奈良の法隆寺、東大寺、興福寺などを観光

「興福寺」の五重の塔。3年前に旧境内の井戸の遺構から、過去の出土例では国内最古といわれる11世紀の平安時代の将棋の駒が発見されました。長さ25ミリ、幅15ミリ、厚さ20ミリほどの木製の墨書された4枚の駒です。2枚の駒の表は「桂馬」「歩兵」と書かれ、裏は「金」でした。ほかに「中将棋」(縦横12マス・駒数92枚)の駒のひとつの「酔象」もありました。酔象は「玉将」の右横にいて、真後ろ以外の7方向に1つ動けます。もう1枚の駒の種類は不明だそうです。

3月に奈良の法隆寺、東大寺、興福寺などを観光

「東大寺」の大仏殿。8世紀の奈良時代に聖武天皇が建立しました。その後、大仏殿は兵火などによって損傷するたびに再建されてきました。私が40年前に初めて訪れたときは「昭和の大修理」が行われていました。少しばかりの寄進をすると50センチほどの細長い板を渡され、私が「大願成就」と書いた板は建物の一部に使われたようです。今になって人生を振り返ってみると、「大願」は成し遂げられませんでしたが「中願」は果たせたかなと思っています。なお2003年4月の名人戦(森内俊之名人―羽生善治竜王)第1局は東大寺の本坊で行われました(結果は羽生が勝ち)。

3月に奈良の法隆寺、東大寺、興福寺などを観光

東大寺の大仏殿の北側にある「正倉院」。校倉造りの高床式倉庫で、聖武天皇や光明皇后のゆかりの品をはじめ、天平時代を中心とした数多くの美術工芸品が所蔵されていました。現在は改築された建物だけが残っていて、所蔵品は宮内庁が別の場所で管理しています。

奈良での観光は、電車に乗った以外はすべて歩き通しました。かなり疲れましたが、人込みをなるべく避けて散策したことで、古都の静かな雰囲気を味わえました。次回は、翌日に観光した京都での話をテーマにします。

 

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2016 08 20 03 26 49 | | コメント (1) | トラックバック (0)

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